何時の世、何処の国でも迷惑な人間はいるもので、そういう奴は欠片もこちらの意見など聞いてくれない。
しかもここでは――
「テッド、パーティ入って」
「断る」
「山塊の島で宝探しする」
「行くって言ってない。大体そんなことしてる場合か」
「早く。鏡の前で二人共待ってるから」
「だから言ってないって……」
その典型のような奴がいる。
「……いっそ祟られてるんじゃないかと思えてきたぞ」
「エルイールに行ってない分マシだと思う」
手近な椰子の木の下に座り込み、やや遠い目で水平線を眺めながらテッドはぼやいた。傍らで同じように座り込んだカイルが、ロクに動きもしない亀を見つめている。
当初のカイルの予定通り――こちらの意思は言うまでもなく無視だ――山塊の島へテレポートするはずが、気がついたらこの場所に立っていたのである。テレポートの直前、くしゃみが聞こえた気もするが、船に戻れない以上確認の仕様もない。救いと言えることは、以前来たことのある無人島に飛ばされたことくらいである。
「瞬きの手鏡は?」
「キカさん」
「自分で持っておけよ……。帰れないだろ」
「ここ、ケネスとタルも知ってる。何とかなるよ」
欠片も深刻に思っていない様子で答え、カイルは再び亀に視線を戻した。殆ど動かないというのに一体何が面白いというのか。
あの船に乗ってから大分経つが、どうにもカイルという人間が理解出来なかった。
今現在も見える、時々年齢を疑いたくなるような行動。加えて大して口数も多くないから意思疎通に困る。そういうある意味問題児の割に戦闘能力は高い。一言で言って、捉え難い。
何より理解出来ないのは、罰の紋章というソウルイーターと近い――似ているようで大分異なるのだが――呪いを持つ紋章を宿しながら、紋章への憎悪も呪いへの恐怖も見せず、必要とあらば躊躇なくそれを行使することが出来る異常なまでの割り切りの良さだった。
丁度オベルを奪還した、あの時のように。
知識として罰の紋章の性質は知っていたが、実際に使われるところを見たのは初めてで。
それを感じてしまったのは自らが宿す呪われた紋章のせいだろうか。
紋章の力が放たれる瞬間、怖気が走った。
紋章に削り取られたカイルの魂が血を流し、悲鳴を上げているように見えた。
あの赤黒い紋章の光も、紋章の咆哮も――。
その後、倒れて運ばれていくカイルの魂は、今にも消えてしまいそうなほどに弱々しくて。
今だって、そう。自分の傍らに座っているカイルは普段とまるで変わりない様子なのに、魂だけが違う。まるで燃え尽きる寸前のロウソクの灯のように異常な強さの光を放つそれが、彼の残りの命数を物語っているように見えるのだ。
こういうもの、なのだろうか。紋章の呪いというものは。
右手に宿る紋章が人の命を刈り取るように、彼に宿る紋章も所有者の命を刈り取り、何時かもわからない終焉まで苦しみを与え続けるのだろうか。彼と自分では、まるで意味が違うけれども。
「――怖く、ないのか?」
聞いてしまったのは、一瞬そんなことを考えてしまったからだろうか。
「大丈夫。そのうち見つけてもらえるから」
「そっちじゃない……」
返ってきた言葉にテッドは思わず肩を滑らせた。
ひょっとして狙ってやっているのだろうか。
「あのな……」
「テッドは?」
「は?」
いきなり問い返され、ぽかんとする。相変わらず亀から視線を外さぬまま、カイルは普段と変わらぬあまり感情のこもらぬ声で再び問うた。
「テッドは、誰かが死ぬのと自分が傷つくの、どっちが怖い?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。やや間を挟んで、それが先ほどのテッド自身の問いの答えであったことを理解する。
恐らく、自分は前者だ、と言いたいのだろう。確かにカイルは自分のことを二の次に考えることが多い。自分が死ななければ誰かを助けられないのなら、カイルは何の躊躇もなく自らの命を棄てるだろう。しかしそれで誰かが助かったとして、自分が死んでしまっては世話ないではないか。
そんな考えもあってか、それに答えるテッドの声には若干呆れの色が滲んでいた。
「随分なお人よしだな、お前。それで船にいる奴全員助けるって?」
「そんなにはいらないよ」
思わずぎょっとしてカイルの方を見やる。視線はもたもた動き始めた亀に向けられたままだ。
「死なせたくない人達がいるから、船は守った。それだけだよ」
紋章の力を見た時とは違う怖気が身内を襲う。まるで人とは違うものを見ているように錯覚さえした。
カイルが護ろうとしているのは、あの船の人間ではない。その中のたった数人だ。もしかしたら十人もいないのではないだろうか。
「……お前、おかしいよ」
咄嗟にそんな言葉が口を突いて出る。たった数人を守るためにあっさりと自分の命をも棄てる、その他に関しては大して鑑みもしない。そんな思考を持つことが出来るカイルが不気味だった。
「かもね」
否定は返ってこなかった。一応自覚はあるらしい。
「でも、必要だから使ってるだけだ」
「自分が死ぬことになってもか?」
「まとめて海の藻屑になった方がよかった?」
どうしてこういうことをさらりと言えるのだろうか、こいつは。
「テッドはよくても僕は困る」
「いいとは言ってない」
「時が来るまで海には渡さない。手の届く限り、絶対に僕が護る。そう決めた」
そう言い切って見せるカイルを、強いと思えてしまう。たとえ一般人の良識の範囲内から外れていたとしても。
霧の船で導者の言葉を一蹴してみせた時と同じだ。カイルの紋章は自分の命を削るものなのに、『彼ら』を護るために紋章を使い、生き延びようとしている。半ば執念にも近い意思で。それに比べて自分はどうだ?
自分の紋章は親しい者の命を喰らうもの。故に人から距離を置いてきた。誰かの死を見ること、そして一人であることを思い知るのが怖くて。今になってもやめることが出来ない。逃げないと誓ったはずなのに。
世界の根源である真の紋章に、人が勝てるのだろうか。
結局カイルも呪いに翻弄され、紋章に食われて終わるのではないだろうか。
そしてまた、テッド自身も――。
「……テッド。賭け、しない?」
不意に、カイルがこちらを向いた。群島の海をそのまま映した蒼の瞳に自分の顔が映り込む。
「賭け?」
「僕はこいつに負けない。負けるほど弱くないって、証明してあげる」
思わず笑い出したくなった。狙い澄ましたかのようなこの言葉は何だ。こちらの考えていることを読んだとでも言うのだろうか。
「……何賭けるんだよ?」
「負けたら僕死んじゃうし。テッドの好きにすればいい」
本当に、カイルは平然と自分の死を口にする。
しかし、それでは賭けにならないことをわかっているのだろうか。少なくともテッドとカイルの賭けは成立しない。まあ言ったところで聞きはしないだろうけど。
「……勝ったら?」
カイルはしばらく考え込み、やがて少しだけ笑ってこう答えた。
「とりあえず、おまんじゅう食べたい」
「買えってか」
空は相変わらず高く晴れていて、海に反射する日の光が眩しい。障害物がない故か、エルイールよりも明るく感じた。
特に何をするでもなく甲板で風に当たりながら、テッドは水平線を眺めていた。船内の葬式めいた空気に耐えられなかったのだ。
エルイールでの戦の折、罰の紋章が使われた。それ以降、カイルの行方が杳として知れないのだ。小船が一つなくなっていたのでそれを使ったのかもしれないが、エルイール近海をいくら探してもその姿は見つからなかった。テッドの持つソウルイーターにも罰の紋章とおぼしき力を感知することが出来なくなっていた。
恐らく、紋章に喰われて命を落としたのだろう。近くに人間がいなかった以上、紋章も他の人間に宿ることが出来なかったのだろうか。
賭けの結果など最早決めようがないが、一応「護る」という目的は果たしたのだろう。罰の紋章は誰に宿ることもなく、クールークの脅威もとりあえずは消えた。そういう意味ではカイルは勝ったのかもしれない。
「何人か護るために一国の海軍ぶち潰す奴がどこにいるんだ。クールークには災難もいいところだな」
呆れを隠しもせずに呟く。
本当に他人の迷惑を気にしない奴だ。
不意に紋章が微かに疼いた。反射的に意識を集中する。
「……食い意地の張った奴め」
思わずぼやいて、テッドはブリッジに向かった。
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設定上の価値観をわかるようにしたら微妙に怖い台詞がちらほらと。
ただどんなものであれ前に向かう力っていうのは強いと思うので、そこでテッドに何らかの影響を与えてほしいな、と思うのです。実際決戦前夜では認めてくれるわけですから。
まあ、世間様の4主とカイルの性格価値観が大分異なるので認めたところは違う気がしますが。
こちらの性格設定を踏まえると、テッドに踏襲されたのが「大事なものは何としてでも守る執念」のような気がします。
少なくともあの短い間の邂逅(4主とテッドの間には心底この言葉を当てたい)で影響を与えてしまう4主の強さは「紋章の呪いに潰されない強い意思」であると思うんですよね。カイルは意思の方向が異なっているだけで。
価値観まるごと変えてしまうような大きな邂逅だったと思います。結果として1での彼の姿があるわけで。
どちらか、というよりもテッドとカイル、両方書きたかった結果のものだったと思います。でもやっぱり導入とか下手ですね。