「……本当に、行ってしまうんですね」
自分のかけた言葉にゆるりと振り向いたカイルは、容貌こそ変わらなくともまるで別人のように思えた。海の色をそのまま映した蒼の瞳の奥底で、蹲るように悲しみが揺れている。
遥か昔――初めて彼と出会った時に戻ったのではないかという錯覚さえ覚えた。それほどまでに感情が死んでいる。

覚悟はしていたことだ。自分はエルフで、人とは異なる時の流れに在るのだから。最終的に残るのは自分であると、彼らを友人に持った時点で受け入れたつもりだった。今でも彼らと共に生きたことは後悔していない。
だがカイルは――。
「……いづらいのも、多少はある。それに……行かなきゃいけないんだ」
何一つ揺らがぬ端整な顔。普段からあまり感情を出さないが、今は能面のように見えた。

二十七の真の紋章の一つ、償いと赦しを司る罰の紋章――それがカイルの左手に宿ったのは、もう五十年以上前のことだ。それ以来、カイルの身体は時を止めた。不老という真の紋章の所有者の宿命によって。

本来ならば彼らと同じ時を生きるはずだったカイルが、自分よりも長い――それこそ終わりの見えない生を持ち、次々と老いて死んでいく友人達を変わらぬ姿のまま見送ることはどれほどの苦しみだっただろうか。
五十年という時は、カイルが孤独を受け入れられるだけの長さではなかったと、今の彼の姿が語っていた。

「残ることは出来ないんですか?オベルの王様も残るように言ってくれたんでしょう?」
「断った。人が住む世界に僕は残れない」
返ってくる言葉は素っ気なく、まるで意識的に自分を遠ざけようとしているように思えた。
「私には、まだ時間があります」
「種族や寿命の問題じゃない。じきに……僕は君とも違うものになる」
能面のままであったカイルの顔に、初めて感情が滲んだ。痛みを堪えるように唇を噛み締めている。

あの戦いを終え、紋章の試練を乗り越えたカイルは徐々に紋章の『声』らしきものを聞くようになっていった。同時にそれがカイル自身を侵食していることが、時と共に理解できた。元々妙に浮世離れした雰囲気を漂わせていたが、今はそれがより顕著になっている。時折彼が何者なのか理解できなくなることさえあった。
「僕は紋章に近すぎるから……。だからそのうち、何も映さなくなる」
説明不足にも思える言葉。喋ることを得手としないカイルの癖だ。

何かに対する執着が極端に薄いカイルをこの世界に留める楔が、なくなってしまう。彼らが死に、やがて自分もその後を追ってしまえば、『カイル』を留めるものは何もない。名前さえも失った、罰の紋章の宿主にしか成り得なくなる。人として在ることをやめ、単なる紋章の奴隷に成り下がってしまうのだろう。

それだけは、嫌だった。

「……カイル。一つだけ……一つだけ、頼んでいいですか?」
先を促すように首を傾げたカイルを、そっと抱きしめる。

恋愛感情などない。今も昔も、彼は自分達にとって弟のような存在だった。彼自身に至っては、そもそも「恋」という感情すらわからないと言う。
だからこそ、彼をこの世界に留める最後の楔として、身勝手な願いを告げよう。最後まで、本当に終わりの見えない彼の生が終末を迎える時まで、彼が「人」として在ることが出来るように――。

「戻ってきてください。五年後でも、十年後でも。あなたが見たもの、聞いたもの、思ったこと――総て、私に教えてください。あなたが心を許せた人を、私にも見せてください。カイル……、あなたが『人』であることを、私に示し続けてください……」
「……一つになってないよ……ポーラ」
声に初めて柔らかさが灯り、今日初めてカイルが自分の名を呼んだ。腕を放し、お互いの顔を見つめて、微笑する。カイルの笑みはかつてと同じ、蒼色の瞳の奥で揺らぐそれ。
「エルフでは、去った人を忘れることはその人を殺すことだと言います。私は、皆と共に在ります。私の命が尽きるまで。カイル、あなたも……忘れないでください。私だけではなく……皆、あなたと共に在ります。だから……」

だから、「人」で在ることを棄てないで――。

「……うん。うん……約束」
口に出せずにいた言葉を読み取ったかのように、カイルが右手を差し出す。それを見て、思わず吹き出しながら自分の小指を絡めた。
「小さい子みたいですね。嘘ついたら……どうします?」
「針千本……?」
今度こそ、声を上げて笑った。何とか発作を収め、未だくつくつと喉を震わせているカイルの指に、改めて指を絡める。
「私は、カイルを信じています。嘘は……ありませんよね」
「嘘は言わないよ……?守るよ、必ず……」
柔らかく微笑んで告げるカイルに、やっと小さく安堵を覚える。これならば、少なくともこのままであるならば、カイルはきっと「人」でいられる。

「……戻って、くるよ。ポーラがいるから、ね」



――……指、切った……――




 空は快晴。大海原は彼の瞳の色。
 私はこうして、待っている。
 遠い日の約束を信じて――


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一応見ればわかってしまうでしょうが、死にネタ。リノ王もフレアもお亡くなりになっています。色んな意味でごめんなさい。
これだけやっといて4主×ポーラではない、というのが微妙な辺りですが……。
文章中に書いてある通り、彼らにとってはカイルは友達もしくは弟以上のものにはなり得ないので。ジュエルの方が年下なのでそこにどうしようもないほどの哀愁を感じますが、そこはそれ。
実際この後不定期ながらも群島に戻ってくるカイル。ですがやっぱり彼女もいなくなってしまえば群島の海以外に彼を縛るものはないんではないかな、と思います。


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