昼間澄みきっていた空は、時と共にそのまま満天に星をばら撒いた。
この城そのものが再び湖に沈んだようにさえ錯覚する、いっそ不気味なほどの静けさ。その中に身を浸すかのように、ルセリナは三階のテラスの端に腰を下ろし、空を見上げていた。
上の兄が死に、父の仕事を手伝うようになって――いつの間にか星空を見上げるのが習慣となっていた。芸術というものはまるでわからないが、父の仕事を垣間見るうち、無意識に美しいものを見ようとしていたのかもしれない。

自分の心までがそれに汚されないよう――。

元々潔癖すぎる性分故のものかもしれないが、今は父と同じ方向へ歩まずに済んだことを感謝している。
こうして微力ながら王子に――リュケイオールに何らかの形で貢献することが出来るのだから。


先の女王親征の事後処理は、ルクレティアと共同して何とか片がついた。本来の目的であったリムスレーアの奪取、という目的は叶わなかったが、親征軍を退けたという実質的な勝利を上げたことに本来は喜ぶべきかもしれない。
しかし今、城にある空気は重い。
サイアリーズの裏切りに怒りの声を上げる者、リオンの負傷に気を揉み嘆く者、無理に明るく振舞う者――様々だが、その総てがエウローラ軍全体に暗い影を落とすことになっていた。

それら総てが、その元凶になっていた。


リュケイオールが、潰れかかっている。自身を庇ったことで重傷を負ったリオンへの自責の念に駆られ、叔母であるサイアリーズに怒る人々の言葉に怯えるように俯き、塞ぎ込む様は痛々しいという他なかった。
こんなに弱い人であったことなど、一体誰が予想しようか。
自分は、こんなところで何をしているのだろう。リュケイオールを支え、共に戦うために家族も、故郷も――色々なものを置いてきたというのに。

何も出来ない自分が、歯がゆい――。

「――そんな所いると風邪引いちゃいますよー。湖の風、特に夜は冷たいですからねー」
かけられた声に驚きながら振り返る。屋内とを繋ぐ入り口に近い壁に背を預け、金髪の女王騎士がそこにいた。


「……カイル様、いつから……」
「さあ、いつからでしょー?」
普段と変わらぬ軽い口調、変わらぬ微笑を浮かべるカイルにルセリナは少々腹が立った。
日頃あれだけリュケイオールを構いつけ、何よりも彼を優先させるカイルが何故よりによって――今にも潰れかかっている時にこんな顔をするのだろう。どうして笑うことなど出来るのだろうか。
とても信じられない。
「やっぱり冬は星が綺麗ですねー。あ、隣いいですかー?」
「……どうぞ」
声に不快さが出てしまったことを悔いながら、ルセリナは敢えてカイルから視線を外した。


正直に言って、ルセリナはカイルが好きではなかった。
確かにリュケイオールから信頼されているようだし腕も立つが、どことなく軽薄で何より女好きだ。ルセリナ自身、口説かれたことも一度や二度ではない。生来の潔癖さも手伝って、彼女の中のカイルの心証は綺麗に右肩下がりだった。加えて、これである。世間にはどうしても好きになれない人間がいる、ということを彼女はここ一年で知った。
上の兄と顔は瓜二つだというのに、何故こうも性格が違うのだろうか。


「リオンちゃんを治す方法、見つかったみたいですよ」
そのせいか、唐突に聞こえた言葉への反応が少し遅れた。
「……本当、ですか?」
「黎明の紋章を使えばどうにかなるらしくて。明日サウロニクス城に行くそうです。薄明の森に遺跡があるんだそうですよ。もー……ここんとこ休みナシですからねー。明日も王子のお供ですよー」
「……いいんじゃないですか。女王騎士は本来王家の方をお守りするためにいるんですから」
「こりゃ手厳しい……」
刺々しい言葉を投げられても平然と笑顔を浮かべ続けるカイル。それに、思わず腹の底がかっと熱くなった。


「カイル様は、本当は殿下のこと何とも思っていらっしゃらないんですね。それでも女王騎士なんですか?」
何とか語気を荒げずに済んだが、目と言葉は敵意で満載だったことだろう。しかしカイルは外を見つめたまま、浮かべた微笑を少し優しげに歪めて言葉を返してきた。
「女王騎士は置いとくとしても、今のはちょっと心外かなー。
俺は王子のこと好きなんですから。今だって、王子のために頑張ってるようなもんだし。女王騎士とか何とかそんなこと関係なしに俺は王子が大好きだから、王子の役に立ちたいと思ってますよ」
そう言って軽やかに笑うカイルを、ルセリナはぽかんとした顔で見つめた。敢えてやっているとすれば、見事な毒気抜きである。
「王子だったら大丈夫。どーしようもなく脆いけど、王子は強いんですから。だから――」
カイルがルセリナの方に視線を移した。そしてそのまま、にっこりと笑う。

「とりあえず、ルセリナちゃんも笑ってくださーい」

「……え?」
「誰かが笑ってないと笑いにくいじゃないですかー。王子じゃなくても暗くなっちゃいますよー」
茫然とカイルの顔を眺めながら、心のどこかで納得している自分がいた。


セーブルでの兄の所業を詫び、「自分に出来ることなら何でもする」と言った時、リュケイオールは珍しく普段の仏頂面を少しだけ和らげて、こう言ったのだ。

――それなら笑ってみろ、ルセリナ――

あの時浮かべることが出来た笑みは、どうしようもなくぎこちなかったものだったけれど。そしてそれだけのことなのに、少し楽になることが出来たのだ。
それと、同じだ。誰も笑っていないところで笑うのは、たった一人で笑うのは、とても苦しい。ただでさえ傷ついているのに、皆があれだけ怒りと悲しみに満ちていれば――リュケイオールも尚のこと苦しむだろう。笑う余裕など、少しもないのではないか。

だから、カイルは笑っていたのだろうか。カイル自身も傷ついているはずなのに。

「そう、ですね……。少しでも、笑わないと……」
「無理はよくないですよー。楽しいこと考えて笑った方がこっちも楽しいでしょう?」
歳の割に少し幼い笑顔を浮かべるカイルがおかしくて、ルセリナの口許が綻ぶ。初めて、カイルという男に好意が持つことが出来た。
「じゃあカイル様は何を考えてるんですか?」
「決まってるじゃーないですか。姫様をお助けして、王子と、サイアリーズ様と、皆で前みたいな毎日送ることですよー。ま、まずは竜馬騎兵団、ですけどねー」
まだ少し遠いことを当然のように語るカイルが羨ましくて。いっそ泣きそうになるのを堪えて、ルセリナも一緒になって笑った。



強さが欲しい
武器を取って戦う力ではなく 人を支えられる強さが欲しい
誰かを癒せるほどのそんな――

力のない強さが欲しい



「じゃあ行きましょうかぁ、王子」
ミアキスの言葉に、リュケイオールは無言で小さく頷いた。カイルが何事か話しかけても、同じように相槌を打つだけで喋ることもさえもない。
少しでも、その背に負った重荷を軽く出来たら――
「――殿下」
ゆるりと振り向いたリュケイオールに、ルセリナはにっこりと微笑みかけた。

一人で苦しまないでほしい。少なくとも自分達は、今ここに集う仲間なのだから。

「行ってらっしゃいませ。どうか、お気をつけて」
びっくりとした様子で――表情を見るのは久しぶりだ――こちらを見つめ、それでも何とか頷き返したリュケイオールに、ルセリナは小さく一礼した。
顔を上げた時、カイルが同じように笑って親指を立てたのを見て、ルセリナは少々気恥ずかしく思いながらも微笑み返した。


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珍しいですね、4主が欠片もいない文章は……。そして初めて王子がまともに出た文章だったりもします。出番凄まじく少ないですが。
見ての通りサウロニクス行き直前。個人的にルセリナとカイルの2ショットは好きです。何か絵になる。
設定に書いた通り今一つ不安定な性格のため、動揺しまくっている結果がこれ。凛々しい王子が好きな方、ごめんなさい。
色々オフで書いているうちに、随分と格好良い人になってしまったカイルです。見ためではなく考え方が、ですが。歳の割に人間がかなり出来ています。多分5では一番好きなんじゃないかな、と。
ルセリナも好き。物理的な強さではなく、精神的な強さを持った娘だと思います。




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