我が剣を其に捧げたもう
悲しみに涙するなかれ 傷つき苦しむことなかれ
我が望むは其の平安 安息の日々に微笑みたまえ
其を護らんがため 我が剣 我が力 我が命 総て其に捧げたもう
悲しみに涙するなかれ 傷つき苦しむことなかれ
其の平安のため 我が命を罪に浸したもう
願わくば 其の平安 何時何時までも尽きることなく
其が海に還るその日まで 其がその身を潮に浸す時を迎えるまで
我が剣 我が力 我が命 総て其に捧げたもう
其を抱きて生きることを 赦したもう


「あれえ?何してるの?」
唐突に声をかけられ、カイルは視線だけを上――空に向けた。桟橋から身を乗り出してこちらを見つめているのは、十七、八歳ほどの少年――見た目でだけ言えばカイルもそうなるのだが――だった。短めの濃い金髪が夜風にさらりと揺れる。確か、リヒャルトといったか。

「そっかー。大丈夫?ボクも時々ミューラーさんに投げ込まれちゃうんだよねー」
「……それは、違うけど」
しばしの見つめ合いの後、妙に的外れな答えに達したリヒャルトの言葉を否定して、とりあえず桟橋に上がる。髪から滴ってくる雫を無造作に払い落とし、カイルはリヒャルトと若干距離を離して桟橋に腰を下ろした。
「えーっと……女王騎士じゃない方のカイルさん、だっけ?」
「……カイルでいい」
問われたことにぽつりと返す。なるべく口に出すことを心がけているが、どうにも「喋る」という行為がカイルには煩わしかった。しかし以心伝心というものが通用しない以上、仕方のないことである。特にこの城には、同じ名前の人間がいるのだし。
「平気?また溺れてるみたいだったけど。ボクも得意じゃないけど、泳げない人って大変だよねえ。このお城」

またも誤解されているらしい。確かに黎明の紋章の所有者であるあの王子に拾われた時は完膚なきまでに溺れていたが、あれは不幸な事故だ。

本来ならば、当時の海上騎士団でも右に並ぶ者がいなかったほど水練達者なのだ。海と共に育ち、自身を「海の子」と言い、「海流」と名を持つカイルにとって、「溺れる」などという屈辱的な目に遭ったのは後にも先にもあれだけである。

「泳ぐのは……得意だから。今までだって、競って負けたことはない。人魚だったら話は別だけど」
口にしてみて、それが柄でもない自慢だったことに、カイルは自分が腹を立てていたと自覚した。
「そうなんだー。ボク群島の方はほとんど行ったことないんだよね。王子様に引っ張られてったニルバ島くらいしか見たことないや」
にこにこと、欠片も邪気のない笑顔を見せるリヒャルトに、カイルはどことなく既視感を覚えた。

若くして「剣王」と呼ばれるリヒャルトは、この軍の同年代の少年少女に比べて異質と言えた。ある意味でビッキーが近いかもしれないが、恐ろしく無邪気なのだ。まるで小さな子供のように。
そのくせ戦場では鬼神の如き強さを発揮する。普段と変わらぬ笑顔のまま、花でも摘むように敵兵を屠っていくその様は恐怖以外の何ものでもないだろう。
何より際立っているのは、自身が所属している傭兵旅団の副長であるミューラーへの異常なまでの思慕だ。それこそ公衆の面前で罵倒されようと、散々金棒で殴られようと、まるで構わない。「あいつ、頭おかしいんじゃねえのか?」と言われているところを目撃したことも一度や二度ではなかった。

その総てが、自分と同じようにカイルには見えた。自分が無邪気だったかどうかは謎だが、誰かのために自分の総てを捧げようとするリヒャルトの姿は、まぎれもなくかつての自分だった。

「……声を、聞いてた」
カイルは空に散った星を見上げ、普段と同じ――落とすような口調で言葉を紡ぐ。

もしかしたら、彼は決して「人」になりきれない自分の異質さを幾許か理解してくれるかもしれない。期待でも、願いでもなく、ただ淡々とそう思った。

「水があれば、聞こえる。あの河も、僕の戻る場所に繋がってるから。ずっと昔……先に還った彼らの声を、また僕に届けてくれる。まだ繋がっていられると……知ることが出来る」
ぽつぽつと、やはり落とすように曖昧な言葉を落とす。詳しく話すのは得意ではないし、言う気もなかった。

同時に、彼ならばコレで理解してくれるだろうという確信もあった。

「……カイルって、寂しいの?」
思わず微笑が漏れた。人前で、目で見えるほど笑ったのは久しぶりだ。
「寂しくはない。海を通して、僕は彼らと繋がってる。それが切れても……僕の中で、まだ生きてる」
そう、ずっと。自分が命を落とす時まで、きっと共に在ることが出来る。自分が彼らを忘れることなど、決してありはしないのだから。
「そっかあ……。ボクには……まだよくわかんないけどな」
「寂しい?」
「ううん。だってミューラーさんがいるもの」
「なら、それでいい。共に在ることだよ、リヒャルト。君の望みは、きっと前の僕と一緒だ」
納得いかない様子で首を傾げるリヒャルトに答えは返さず、カイルは立ち上がって塔の方へと歩き始めた。
まだ知る必要はない。彼も相手もまだ生きている。自分と同じものになるかどうかは、まだわからない。


耳に残るは 海のさざ波
我の総てを捧げし者よ 我が内にて永遠なれ
記憶の内に 薄れること 霞むことなく 平安を過ごしたまえ
其の還りし海と 我が内の其の姿を護らんがため
我が剣 我が力 我が命 総て 総て――

汝らのために捧げたもう


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リヒャルトでわかる通り、時間軸は5です。
何で彼が城にいるか、というのは流して下さい……。5でコンバートが出来ないことに激しくショックを受けた人間ですのでどうしても出したいんです、4主。一応折衷案も作ってあるし。いや、このためだけではないのですけれども。
ともあれ、シンダルの城(というよりもセラス湖)での海流とリヒャルトの何と言うこともない一幕。海流の心情的な行動は見事なまでに一貫しているので、「彼の果て〜」の続編みたいに見えます。
この2ショットは前から書きたいと思ってました。我が家では非常に似通ったところのある二人なので。何かずいぶんと仲良くなってますが……共通点があるのを本能的に察知しているのと、お互いの剣の腕を認めてるんでしょうね。機会があれば手合わせとかも書いてみたいところ。殺陣苦手ですが。
わかりにくいですが、海流セラス湖に浮いています。しかも過去に初めて溺れて王子に拾われる、なんてオチが既に。カイルとは同性同名になっちゃってますし。(お前のせいだろ
後書き見ての通り、5軸の場合4主の方は漢字表記になります。今回は名の意味が絡んでしまったのでカタカナ表記になりましたが。そうでもしないと本当にわかりにくいんで……。口調見れば一発なんですけどね。

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