「あー……つっかれたー……」
引きずるほどの長さのマントを乱暴に外して放り出し、華奢でヒールの高い靴を歩きながら脱ぎ捨てる。
長いスカートの裾がまくれ上がるのを気にもせず、長椅子に転がってこの台詞だ。
別に私でなくとも少々、いや多いに落胆――否、絶望に近い思いを持つだろう。
「……少しは体面というものを気にしろ……」
思わずそうした言葉が口をついて出ても、別に私が悪いわけではない。
契約の儀の時はちゃんとしていたのだ。割と奔放な娘であることはわかっていたが、さすがにここまで崩壊すると誰が思うだろうか。
「ああいう堅っ苦しいの苦手なんだもん……。むしろ終わるまで頑張ったの褒めてほしいわ」
「だからと言って崩れるのが早すぎるぞ……。何だ、その落差は。年頃の娘がはしたない……」
「……フィル言うことがおじさん臭い」
大きなお世話だ。
大体「おじさん」とは何事だ。私はまだ二十五だぞ。
「公私の使い分けは結構だが、それでもある程度の節度はあるだろう。ここに一人でいるわけでもあるまいし……」
「小言ばっか言ってるとハゲちゃうよ?別にいいじゃない、あたしとフィルの仲ってことで」
思わず溜息が床に落ちた。
こちらの言うことなどまるきり聞く気がないらしい。物怖じしない性格なのは結構だが、会ってせいぜい十日も経っていないのにこれはないだろう。
優秀なことは優秀なのだろうが、これでこの先末永く組めとは、議会も随分と酷いことを言うものである。私にも選択権くらいあっても良いではないか。一体何のための候補制度なのか。
……まあ、今更愚痴を言ったところで仕方あるまい。組んでしまった以上、この関係はどちらかが死ぬまで続くのだから。
「あんまり細かいこと気にしないでさ、仲良くやろうよ。ね?」
別に欠点だらけの娘というわけでもない。おいおい……慣れるだろう。多分。
相性自体が悪いわけではないのだ。
大陸南部に存在するおよそ十六の都市、地図上ではそれらをまとめて「南部都市群」と表記している。
その中の一つ、エアが私達が暮らす都市である。
多くの術士が留まり、大陸でも屈指の術の知識・技術を有する術都市――それがエアだ。その数は恐らく大陸一の数を誇ると言っても過言ではないかもしれない。
余所の都市や国でも在るが、エアには「騎士」が存在する。だがこれは世間一般の意味では用いられない。
議会制であるエアには剣を捧げる王は存在せず、都市内の警備は衛士隊が行う。ならばこの都市における「騎士」とは何か。
エアの騎士は全員、術士としての素養を認められながらも自力では術を行使出来ない者で構成されている。
大半が制御能力に難があり、術士と契約し、間接的に制御してもらうことで初めて術を行使出来るようになるのだ。
呼称は違うが、エア以外にも術士と契約関係にある騎士は少なからずいる。しかしその数は、土地の広大ささえ考慮に入れなければエアが最も多いとされている。
元々術士が多く、その術士に騎士と契約させることで術士を実質倍にすることが出来る――エアにおける「騎士」とは潜在的な術士を指し、それがエア自身の強みとなっているのだ。
もっとも、術士であれば誰とでも契約出来るというわけではない。契約には双方の相性が大きく関わる。
制御のための精神リンクのためかと思われるが、相性の悪い相手では制御を行う術士に異常なほどの負担がかかり、下手をすれば術士の精神が焼き切れてしまう危険さえある。
だからこそ契約の際には相性を調べ、契約に適性があるかどうかを確認するのだ。
何と言ってもここは術都市。術士の安全が最優先なのである。
しかし仮に適性有りとされたところで、すぐに契約を交わすわけではない。精神の方で相性が良くても、致命的にソリが合わない者もいることはいるのである。
そのため適性有りと判定された時点でその騎士は「候補」という扱いになる。正式に契約の儀を行う前に行動を共にし、最終的に契約を交わすかどうかを見極めるのだ。
その期間は短くて半年程度。長ければ四、五年にも及ぶこともある。
これに関しては当人同士の関係なので、外野からは何も言えない。しいて言うのであれば、大抵は一年以内に契約の儀を行う。数年も間が開いているのは余程ソリが合わないか、何か問題が発生したかだ。
もっとも――
「にしても……せっかちだよねぇ。普通は早くて半年くらいだって聞いてたのに、会って相性悪くないからはい成立、ってのはいくら何でもあんまりじゃない?」
私と彼女の候補期間は僅か八日。適性の結果が出た三日後に契約の儀を行っているので、実質的な期間はたったの五日である。
まあ、これには一応理由があるのだが――。
「聞いていないのか?」
「何が?」
「近隣の都市で未契約の術士が一方的に契約を交わされる事件が多発しているんだ。中には契約の重複で騎士もろとも精神が焼き切れて廃人と化した例もあるらしい」
制御のために精神の一部が繋がっている以上、騎士にも影響が出る。余程強引な契約だったのだろう。
「大方私との契約は予防措置のようなものだろう。都市としては優れた術士を危険に晒したくなかったんだろうな。候補の間に使いものにならなくなっては困るから」
「何それ!?だからこんな早かったの!?」
彼女が豪快に飛び起きる。どうやら知らなかったらしい。割と術士の間でも話が伝わっていると思っていたのだが……。
それとも、彼女が聞く耳を持たなかっただけか。
とりあえず、また裾がまくれ上がったが見なかったことにしておいた。後で注意ぐらいはするが。
まったくもって、はしたない。
「大体予防措置って何?あたしかフィルが死なないと契約切れないのに、予防もへったくれもないでしょ?こういう人生かかった問題勝手に決められるなんて冗談じゃない!」
「気持ちはわかるが……、今更なかったことには出来んぞ。私か君か、どちらかが死ぬまではな。それが契約だろう?」
「だから言ってんの!フィルだって嫌でしょ!?これで性格の相性最悪だったらどうする気だっての!」
「私はさすがに慣れたんでな」
最初に対面してからというもの、彼女には好き勝手やられているのだ。いい加減耐性もついてくる。
大体十七の子供に対して正面からの大喧嘩をするなど、大人げないにもほどがあるだろう。
「幸い相性自体は悪いわけではない。お互いおいおい慣れるしかないだろう。それとも、私は見るのも嫌か?」
「そこまでは言ってないけど……」
しゅんと項垂れる姿に思わず軽く吹き出した。表情がくるくると変わる、実に素直な娘だ。
「なら早めに割り切ってもらうしかないな。改めてよろしく、シエラ」
握手を求める代わりに、転がったせいで多少崩れてしまった髪を軽く撫でてやった。
残念だが、契約相手とはいえ自分と対等に見るのは難しそうだ。
「……まあ、とりあえずは我慢しとこうかな。フィルも顔は悪くないしね」
そういう余計なことは言わなくていい。