大通りから一つ二つ入ったさして人通りのない路地を歩きながら、私は今日何度目かの溜息をついた。
都市、と一言で言っても広い。
その都市の出身者であっても全貌を把握している者は殆どいないだろう。大半は自分の生活圏内以外はよく知らないはずだ。
そんな所で、さしてよく知らないものの捜索などしようものならどうなるか――推して知るべしだ。
事の起こりは、今から少し前に遡る。
「フィル……手伝ってほしいことがあるんだけど……」
シエラにしては珍しく歯切れの悪い言葉に、私は首を傾げた。
「どうした?」
「探しもの、手伝ってほしいの。結構広いから探しきれなくって……」
「何かなくしたのか?」
契約を済ませた術士と騎士には、共有の部屋が与えられる。いわゆる執務室だ。
当然私物も少なからず持ち込まれるため、私達の部屋も徐々に雑然としてきている。掃除をするには良い機会だと思ったが、シエラは首を横に振った。
「ここじゃないの。あたし一人じゃ捕まえられそうにないからさ、お願いしていい?」
「ちょっと待て。『捕まえる』って……一体何を探してるんだ?」
「弟」
シエラ曰く、脱走癖のある弟がまた寮から抜け出し、その捕獲に泣きつかれたらしい。
シエラに弟がいたというのも初耳だが、契約もしていない術士がそうも簡単に寮を抜け出せるものなのだろうか。
最近の情勢を抜きにしても、未契約の術士は外出が制限されている。術士は都市にとって貴重な戦力なのだから、当然と言えば当然だろう。言うまでもなく監視も厳しい。
それを何度もくぐり抜けているらしいのだ、その弟は。この姉にして、というべきだろうか。
しかし厄介なことに都市は広い。そこから人一人を見つけ出すなど至難の業だろう。
何度もやらかしているのだし、戻ってくるのを待ってみてはどうかと言ってみたのだが、どうも任務の補助を要請されているらしく今回ばかりは探してくれるよう頼まれてしまったらしい。
……これで聞かなかったふりをしきれないあたり、私も実に損な性格だろう。
しかし現在は都市内でも必ずしも安全とは言えない。任務に支障が出てしまうのも、我が事ではないにしてもよろしくない。
結局私は、その弟の捜索を手伝っているのである。
……とはいったものの、改めて言うが都市は広い。大体この辺りとシエラが目星をつけてくれたが、実に大雑把な範囲でしかなく、そこから人間一人を探し出すなどつくづくもって無謀である。
「……よくもまあこんなこと引き受けたな」
「これが最初じゃないしね……。迷惑かけちゃってるのは本当だし」
私以上に疲れきった様子で、シエラは近くにあった木箱に座り込んだ。
ものを探すことは、存外疲れる作業なのだ。体力よりも精神力を使う。時間をかけて見つからないとなれば尚更だ。
「ごめんね、付き合わせて」
「付き合うと言ったのは私だ、気にするな。それに契約をしていない術士が一人で出歩くのは危ない。こんな場所なら尚更だ。早いところ見つけないとな」
「だったら手分けして探した方が早くない?」
「それは駄目だ」
こればかりは即答した。
シエラが目星をつけたのは都市の外縁部。中央から離れているため衛士隊の目が届きにくく、治安もそれなりに悪い。
如何に術士であろうと、こんな悪所を年頃の娘一人歩かせるわけにはいかないだろう。どうなるかわかったものではない。
「そこまで信用ないの、あたし?」
「君の安全を考えて、だ。万一のことがあったらどうする?」
何か言いたげにこちらを見上げたシエラの視線が、不意に軽く眇められた。
「……シエラ?」
「いた。あっち」
言うなり立ち上がると、彼女の姿はもの凄い勢いで私の裏手の路地に消えた。
……あんな長いスカートでよくもあれだけ俊敏に動けるものだ。
ともあれ、シエラを一人にしておくわけにはいかない。急いで私は後を追った。
路地を三つ曲がったところでようやく追いついた。
シエラと向き合って立っている少年は、歳も彼女と同じくらいだろうか。
姉弟ということだったが、実によく似ている。さすがに背は少年の方が高いが、それもさしたる差はない。
決定的な違いは、別のところにあった。
「……銀髪……」
特徴をシエラから聞きはしていたが、実物を見るのは初めてだった。
一般的な意味合いのものではない。彼らは正確には色の薄い金髪だ。
だが、目の前の少年は違う。
陽の光を受けて紫色にも見える見事な白銀。術士が装身具や触媒として術の増幅に用いるようなそれの色だ。
先天的に極めて術力の高い者がそういう色の髪をしていると聞いているが、この術都市であっても数例しか記録がない。
加えてその、眼。
今、うんざりとした表情で塗り固められている双眸は紅だった。
眼は髪以上に本人の術力の影響を受ける。高い術力を持つ術士はまず眼に、そして髪に自身の術力が色として出る。
そして紅は「央」の色とも呼ばれ、白銀以上に高い術力の象徴と扱われる色だ。
実際紅玉は、大きさ次第で都市一つ買えるような値がつく。無論術の触媒としてだが、数自体が非常に少ない。
今そこにいる銀髪に紅眼の持ち主は、人としては最も術力が高いと言っても過言ではない。
合点がいった。これだけの術士ならば、寮から脱走するのも難しくはないだろう。
「……またかよ、シエラ」
しかし当の本人は実に不機嫌そうに呟いた。口を開くと印象がぐっと幼くなる。
「あんたが脱走しなければ、あたしもいちいちうるさく言わない。毎回探し回るこっちの身にもなってくれる?」
さして悪びれる様子もなく、少年がちらりと私を一瞥した。
妙に冷たい眼が微かに笑う。
「それで貰ったばっかりの犬連れてお散歩かよ?いい御身分だことで」
「リーン!謝りなさい。いくら何でも失礼でしょう!?」
リーンと呼ばれた少年はふいとそっぽを向いてしまう。
大体このあたりで私にもリーンがどういう少年なのか、把握出来た。当然対処も決まってくる。
「シエラ、補助要請を受けた任務の場所はわかるか?」
「一応。まあ、任務って言うほど堅苦しいものじゃないんだけど」
「わかった。道案内を頼む」
問題はなさそうだと判断し、私はリーンに速足で歩み寄った。
リーンが何事か言おうとした瞬間、一気に距離を詰め首筋に手刀を一つ。
「行くぞ」
手早く彼を担ぎ上げ、茫然としているシエラに声をかけた。
私とて騎士の端くれだ。術士の対処法くらいは見習い時代にしっかり仕込まれている。
術の発現には「言葉」を用いる。構成や増幅にも用いられるが、これらは個人によって異なるし、強力な術士であればそもそも必要としない。だが、発現させる時には、何であれ必ず「言葉」が必要なのだ。
要は術士に術を発現させないために喋らせなければ良いのである。術士自身が体を鍛えていなければ、無力化など実に簡単だ。
「……容赦、ないね」
今度は私が先導する形になり、後ろをついて歩きながらようやくシエラが口を開いた。
まさかこういう行動に出るとは思いもしなかったらしい。
「言って聞く相手ではなさそうだったからな。無駄に口論するよりもこっちの方が手っ取り早い」
「うん……。意外と力技に走るんだね、フィル……」
そこまで驚かれるのも心外だ。物事は可能な限り迅速に済ませるべきだろう。