地母神ガイアの身に、緋色の飛沫が弾け飛ぶ。
全身を緋色に染め、それでも地の上をもがき続ける男を、デスマスクは不吉な笑みを浮かべて見下ろしていた。
「あーあ、抵抗しなきゃラクに逝けたのによ。みっともねえよなぁ、仮にも聖衣を授かった聖闘士が」
その言葉に男の顔が歪んだ。嘲笑でも浮かべようとしたのか、それとも何か罵声でも浴びせてやろうと思ったのか――。どちらにしろ、デスマスクには興味のないことであった。
「…………悪魔……め……!」
血塊を零しながら男が言う。どうやら後者だったらしい。
「黄金聖闘士が……何故、偽りの教皇などに……従う……!?貴様には……善悪の区別、も……つかないのか……!」
デスマスクは笑みを深くした。そのまま、立ち上がることも出来ずに地を這っている男の首を掴んで引きずり上げる。死神の笑みを浮かべたままの顔を近づけ、彼は実に楽しげに言ってみせた。
「良いこと教えてやるよ」
笑みを浮かべたまま、大した気負いもなく、デスマスクは手に力を込めた。男の喉が笛のような音を立てる。
「俺はな、生まれてから一度も、間違った選択はしてねえんだよ」
ごきり、と手の中からやけに鈍い音がした。放してやると、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。頚骨が砕かれたのか、首はあらぬ方向に曲がっていた。それを見下ろして、デスマスクは満足げに微笑む。
その黄金色の聖衣も、白いマントもあちこちが緋色に染まっていた。
「デスマスク」
後方からの声に、彼は何気なく振り向いた。視線の先に、同じように黄金聖衣を血で汚したシュラが佇んでいる。
「よぉ。そっちも終わったか?」
「――ああ」
普段よりも堅い表情のシュラに、デスマスクは肩をすくめてみせた。持たずとも良い罪悪感とやらに苛まれている、とでも言うのだろうか。この堅物の同僚は嫌いではないが、こういったところは時折見下してみたくなる。
「珍しく大規模な反乱だったな。手間がかかった」
「大方サガの奴がヘマでもやらかして、面が割れちまったんじゃねえのか?でなきゃあそう簡単に実力行使はしないだろうよ。表向きは普通の教皇だからな」
そう言って、足元に転がった屍をつつくように蹴る。シュラは僅かに顔を顰めたが、特に何も言わなかった。
「ともあれ、用も済んだしとっとと帰ろうぜ。敬愛すべき我等が教皇陛下がお待ちかねだ」
死神の笑みを貼り付けたまま、デスマスクは踵を返して歩き出した。無数に転がる屍にただの一度視線を移し、シュラは無言で後を追った。
デスマスク、なんぞという不吉極まる名前で最初に呼ばれたのがいつのことか、当のデスマスク本人も覚えていない。彼は物心ついたときから、それ以外の何ものでもなくデスマスクだった。
そして、これ以上自分に相応しい名はない、と当人は思っている。
死に顔を集める黄金聖闘士、聖域の死神、――蟹座のデスマスク。彼はこの肩書きを非常に気に入っていた。
「しばらく来ないうちに増えたな、死に顔」
「大量に殺ってきたからな。そりゃ増えるさ」
アフロディーテの言葉に、デスマスクは事もなげに言ってみせた。あちこちから亡者の呻きが上がっている。並の人間なら一時間も保たずに発狂しそうな空間で、二人は平然と茶会を開いていた。
宮の至る所に死者の顔が浮き出た不気味な空間――それがデスマスクの守護宮、巨蟹宮だった。先代までは出ていなかったという話だが、デスマスクにとってはこれもどうでもいい話である。
「シュラの奴はどうした?」
「昨日任務で出かけた。かく言う私も、明日には仕事だがな」
そう言ってアフロディーテが苦笑する。デスマスクはまたか、という顔をした。
今現在偽りではあるが、教皇として君臨しているサガが自由に動かせる手駒は彼ら三人ぐらいしかいない。そのため、ほとんどの任務は彼らにくる。おかげで三人が揃って十二宮にいることはほとんどない。
「相変わらず人使い荒いな、おい。いっそ直談判にでも行くか?」
「今は瞑想中だ。怪しまれるから面会はやめておけ」
デスマスクが返してきたのは悔しそうな舌打ちだけだった。それにアフロディーテは微笑を漏らす。
「別にそれほど嫌だというわけでもあるまい?どれだけ殺しても、任務ならどこからも文句は出ないからな」
「人を殺人狂みたいに言うんじゃねえ。敵対する奴は殺す、それだけだよ」
「だが、君は自分がその相手を殺している時の顔を想像したことがあるか?私が見た限り、その身体を壊すこと、血を見ることを純粋に楽しんでいる死神としか思えないぞ」
その言葉に、デスマスクは太い笑みを浮かべた。
「それは俺にとっちゃ誉め言葉さ」
皮肉げに言うデスマスクに、アフロディーテは苦笑を漏らしただけだった。
「しかし……そろそろ危ういな。感づき始めてる奴も増えてきてる。ますます忙しくなりそうだ」
「いいじゃねえか、別に。牙剥いてきた奴を片っ端から殺せばいい。楽だろ?」
残虐極まりない言葉をさらりと言う。それにアフロディーテは声を出して笑った。彼がこうまで笑うのは珍しい。
「期待しているよ、死神」
一しきり笑ってから漏れたその言葉に、デスマスクはそれに相応しい不吉な笑みを浮かべて返した。
力こそが正義である。これはアフロディーテの自論であるが、少なくともデスマスクはそれに同感であった。
そして同時に、敗者は常に弱者だと思ってもいた。弱者は弱いから徒党を組み、強いと思い込むのである。それでも弱者であることに変わりはないのだが、当人達は気づいていない。
そういった連中の妄想を踏みしだき、弱者としての絶望を与えると共に、絶対者として君臨するのがデスマスクは好きだった。
巨蟹宮の死に顔を眺め、彼は楽しげに死神の笑みを浮かべてみせた。この死に顔こそが、今までデスマスクが屠ってきた「弱者」であり、この場においての生者である彼は確かに「強者」だった。
「こいつらは弱者。そして、俺の強さの象徴だ」
その言葉に、シュラは肯定も否定もせず、ただ小さく言った。
「確かに、教皇に従わぬ者が増えてきている。命が下されれば、その者を殺すのも仕方なかろう」
「何が言いたい?」
「殺すな、とは言わん。だが、いたずらに死者を増やさずとも良いだろう」
半ば想像通りとも思えるシュラの言葉に、デスマスクは笑みを深くした。楽しくてたまらない、といった様子で口を開く。
「どうして生かしておかなきゃならねえんだ?逆らう連中は全部俺らにとっては不必要だ。従う奴だけ残して、後は全部殺しときゃいいんだよ。逆らう奴を生かして、恩を売る義理はねえ。要らないモンを残す理由なんて、これっぽっちもないだろ」
シュラは無言でこの宮の主を見つめた。その瞳には、絶対的な自信と、いっそ無垢なほどの残虐さが同居している。それが一体どこから出てくるのか、それはわからないが。
「一つ、いいこと教えてやるよ、シュラ」
シュラの目線での問いかけに気づいたのか、デスマスクは同僚であり、同胞である彼に軽く指を突きつけた。
「俺は生まれてから一度も間違った選択をしてねえんだ。後悔なんてしない。今の自分のやり方に不満なんざねえ。俺は何時だって正しい。勝者である俺が、間違ってるわけなんかねえんだよ」
そう言って、死神は茫然とする友人に声を上げて笑ってみせた。
今更言うまでもなく、デスマスクは無神論者である。生まれてからこの方、神に祈るなどということは、一度としてしたことがない。
そんな彼がアテナという神の聖闘士をやっているのだから、世の中はわからないものである。
「……お前……、一体どういう風の吹き回しだ……?」
「ほっとけ」
繰り返すが、デスマスクはあくまでも無神論者である。女神のために闘ったことなど、ただの一度もない。故に、同僚からこう言われても仕方のないことである。
女神率いる青銅聖闘士と闘い、命を落としたのは大分前のことである。サガ側として闘った彼は、今再び聖域の土を踏んでいた。普通ならば絶対にありえない展開である。ひとえに冥王ハーデスの力だった。
表向きは女神を狙うハーデスの刺客として、教皇シオンに率いられて彼を含む数人の黄金聖闘士が同じようにこの場に立っていた。彼ら曰く、「他ならぬ女神のため」らしいが、デスマスクにとっては非常にどうでもいいことである。
「それにしても意外だな、デスマスク。お前が女神のために動くなど……」
「勘違いすんな、サガ。俺はあのいけ好かない小娘のことなんざどうでもいい。ハーデスを欺いてみるのも面白いと思っただけだ」
それは事実であった。他の者の解釈はどうであれ、デスマスクは「女神のために動く」などという気は毛頭ない。ハーデスに背くことを選んだら、必然的に女神側についただけである。
「構わん。お前にどの程度のことができるか、さして期待はしておらんがな」
「言いやがったな、じじい。そっちこそ、ムウ相手に躊躇なんてすんなよ。迷惑だ」
半ば喧嘩腰の台詞に軽く拳骨を落としてから、教皇シオンは呆れるように苦笑した。
「相変わらず口が減らぬな、小僧。十三年も経ったというに、まるで成長はなしか?」
「うるせえな。いいから行くぞ。時間がねえんだろうが」
デスマスクは傍らで笑いを堪えているアフロディーテを小突き、足早に十二宮の方へと向かっていく。
すぐさまアフロディーテが後を追ってきた。それから少しの間をおいて、他の者も歩き始めたのがわかる。
「素直ではないな、君も」
「どういう意味だ。俺は面白いからじじいの案に乗っただけだ。勘違いすんなって言っただろうが」
「じゃあそういうことにしておこうか。君の事情はともあれ、今回は女神のため、か……。期待しているよ、聖域の死神にね」
その言葉に、デスマスクは無言でいつもの笑みを浮かべた。
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改変は殆どしてません。今と書き方が若干違うので丸々修正が入れられないので……。
星矢は長らく書いてないので多分出来ても修正が出来ないのではないかと思います。
でも冷静に考えたら黄金聖闘士が二人も派遣されることってまずありませんよね、聖戦でもないのに……。この辺りに思慮不足が。まあ作ったの3年前だしな……。
これで誤解受けそうですが、私は蟹派ではありません。私の本命はラストで一瞬出てきた大羊様です。
ただまあ、これは年中全員、というより十二宮編悪玉全員に共通すると思いますが、一つの信念を貫き通すのが魅力的だとは思います。蟹は何か笑える方向への脱線がちょっと多かったせいで、どうにも弱いギャグキャラ扱いな印象ですが……。
可能な限りかっこ悪くないデスマスクを心がけたつもりらしいです。私の場合微妙にヤバくなっている気がしますがね……。