最初に伝わってくるのは、一瞬。
背筋を逆撫でするような、ぞくりとした不気味な感覚。
それが離れてすぐ。左手を通して送り込まれてくるのは
侮蔑、怒り、衝動、そして――
――悲哀
それら総ての入り混じった、どす暗い感情が身内を駆け巡る心地に全身の皮膚が粟立った。
次第に純粋なる狂気へと変じていく感情に、一瞬こちらの体までもが支配されてしまうようにさえ錯覚する。
紋章の力、宿主の魔力、そのどちらもが覚えのあるもの。
故にこそ、伝わってきた狂気と今も肥大化していく紋章の力に愕然とする。
「……アル……シュター……ト……」
彼女がいるのはこの北の大陸からは遠く離れたファレナ。それだけの距離を無視して紋章の力を感じたのは、グラスランドの炎の時のみだ。
いや、力自体はあの時よりも遥かに強い。
よもや、自ら暴走させるつもりか――?
狂気、狂気、狂気――
総ての感情を呑み込み一色に染まろうとする意思が、力を具現化させようともがく。
喩えようのない不快感に体が堪え切れず、膝をつき、嘔吐する。意識だけは何とか呑まれまいと胃の辺りにきつく爪を立てた。
キリルと一緒であれば、と、一瞬思う。滅多にないこととはいえ、こういう時に一人旅は困るのだ。
もっとも、彼と最後に会ったのは十年近く前だ。無いものねだりしたところで意味はない。
左手の紋章に散り散りになりそうな意識を集中させる。
元々ずば抜けて高い魔力を持っているわけではないが、これだけ距離が離れているのならば、こちらまで溢れ出している意思くらいは何とか抑え込めるだろう。
ファレナが消え去るのならばそれも紋章の意思、現在の所有者たるアルシュタートの意思だ。自分が干渉をかけるべきことではない。
かといって、こちらがそのとばっちりを受けるのはごめんだ。
罰の紋章という爆弾を抱えているのもあるが何より、「約束」したのだから。
だが最後の感情の一片が呑み込まれるよりも、こちらが防御として紋章の力を行使するよりも早く、何かが飛び込んできた。
それが何なのか、こちらが知る術はない。だが太陽の紋章の力は霧散するように消え、同時に暴れ狂っていた意思も消えた。
反動で倒れそうになる体を何とか支え、ふらつきながら立ち上がる。頭の奥が先ほどの名残のようにずきずきと痛んだ。
太陽は使われなかった。それだけはわかる。それ以外にわかるのは、紋章に心を乱されたとしても、自ら国を消し去ろうとしたアルシュタートの負の感情。この程度だ。
左手が、そこに宿る紋章が疼く。
戦が始まる。
務めを、果たせ――
「……勝手が違うじゃないか」
急速に意識が冷却していくのを自覚しながら、海流は街道を南へ歩きだした。
紋章の戦が始まる
その地はファレナ 太陽と大河に愛されし地
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本当にやってしまいました……。続きます、結構。
後書き絶対長くなりそうなんでブログにでも……。