視界に入ってきたものに、海流は微かに目を眇めた。
群島諸国とファレナ女王国のある大陸との中間にあるニルバ島には、多くの船が中継点として補給に立ち寄っていく。大型船が碇泊していたとしても珍しくはない。
「……リノ・エン・クルデス……?」
世界一の海軍軍事力、造船技術を誇る群島諸国連合連合軍の旗艦は、悠然とその身を港に収めていた。
何故「これ」がこんな所にあるのか。海賊退治にしても、余程の大海賊でもない限り「これ」が出てくることはまずあり得ない。
だが、そこから少し離れた所にもっと異質なものがあった。
船自体に見覚えはない。船体は群島のものと似ているが、それ自体は珍しいことではないので気に留めなかったが、マストの上に掲げられた旗が今の状況においては異常という他なかった。
ファレナ女王旗。
これまでに耳にした噂では、ファレナで内乱が起こっているという。そんな時に何故ニルバ島にこの旗を掲げた船があるのか。王族の亡命であるならば、これほどまで堂々と旗を掲げはしまい。
接岸を告げる声が聞こえる。船の中が俄かに慌しくなった。
これならば、推測するよりもスカルドに聞いた方が早いだろう。リノ・エン・クルデスがあるのなら彼は間違いなくいるはずだ。
そう結論を出ししばらくして、無事接岸した定期船を降り海流はかつての仲間の名を冠した船へ足を向けた。
探し人は灯台下の階段にいた。何やら楽しそうに灯台の方を見上げている。
声をかけようとして、左手から這い上がってきた紋章の疼きに言葉を呑み込んだ。それと同時に意識下へ流れてくる情報。
真の紋章ではない。これは――
――黎明?
黎明の所有者が何故ここにいるというのか。
疑問の解決をしようにも、黎明の紋章の存在だけを伝え、再び紋章は沈黙した。
眷属の筆頭であったとしても真の紋章ではないからだろうか。所有者と直接接触しなければまともは情報は得られないと考えた方が良いかもしれない。
今までとは少々勝手が違うせいもあるが、今回は今一つ役に立たない。
まあ、文句を言ったところで変わるものでもなし、探し人も見つかったのだから彼に聞けば良い話だろう。
「……楽しそうだ、スカルド」
振り向いた顔は、少々驚いていたようだった。
ふと振り返ると、ニルバ島の町並みと群島の海が一望出来た。
下よりも強く感じる風が髪を弄る。
海賊などが騒ぎを起こさなければ、この風景を堪能出来ただろうに。
もっとも、そうであればこんな所まで登っては来られないだろうが。
「王子、どうかしましたか?」
「いや……」
リオンの声に小さく言葉だけを返す。
こんな時に感傷的なことを考えるとは、随分と悠長になったものだ。芸術家でもあるまいし。
さっさと済ませてしまおうと梯子に手をかけたのと、ほぼ同時――
右手の紋章がじり、と痛みを告げた。
反射的に振り返る。しかし目に映るのは、当然ながら同じ風景だけだ。しかも紋章は無責任にも既に沈黙している。
まるで何事もなかったように。
何だ、今のは――?
「王子様ー、早く行こー」
やや間延びした声に意識を現実に引き戻される。
こんな所で考え事などしている場合か。万一足を踏み外したら……死ぬぞ、この高さは。
軽く頭を振って、先程のことを一時忘れる。そうして改めて梯子を登り始めた。
内乱が起こり、女王アルシュタートと女王騎士長フェリドが死んだ。首謀者のゴドウィン卿は王女を次期女王として擁立することで国の実権を握ったが、逃げのびた王子が彼らに叛旗を翻した。
当初、王子は大貴族のバロウズ卿を後ろ盾としていたが既に袂を分かち、現在ファレナは王女を擁立したゴドウィンと王子の勢力に二分されているらしかった。
その王女が女王に即位するのだという。理由は言うまでもない。女王を戴く勢力こそが正規軍、それを知らしめるためである。
先代女王の喪が明けたその日に、戴冠式を行うそうだ。スカルドはそこに群島諸国連合代表として列席するのだという。
そこまで聞かされ、海流はあの日から一年経とうとしていることを初めて意識した。
それだけの距離を隔てた所で紋章の力を感知したのは大したものだが、ここに来るまでかかった日数分、太陽の紋章は放置されていることになるのだ。それも黎明の紋章が欠けた状態で。
赤月帝国内の情勢がもう少し安定していれば、もっと早く来られた。
思わず唇を噛み締める。歳を重ねたせいか、時間の感覚が麻痺したのだろうか。
一時の猶予もない。黎明も気になるが、そちらは後回しだ。太陽の紋章の状態だけでも確認しなければならない。
だが内乱中のファレナに行く定期船はない。僅かな交易船が行き来しているだけだ。それに何とか言って乗せてもらう他ないだろう。
いや――
「――スカルド、ファレナに行くんだったね……?」
「お乗りになりますかな?」
平然とこんな言葉が返ってくる。
当初は不要だと言ったものの、今回ばかりはリノが自分に持たせた特権に感謝した。
「出港は?」
「そうですな、明後日になるでしょう。エストライズからソルファレナに向かうよりは近いと思いますぞ」
確かにエストライズからファレナに入国するよりは、ハーシュビル軍港から入った方がソルファレナに近い。
「今度だけは甘えさせてもらう」
「承知しました」
灯台の上が俄かに騒がしくなる。捕り物が始まったらしい。
彼らが降りてきた時に気づかれぬよう、海流は静かにその場を後にした。
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自分の特権しっかり利用する海流は嫌だな……、書いたの私だけど。
でもスカルド提督は絶対確信犯だ。