「……なあ、馬鹿馬鹿しくねーか?」
「仕方ないだろう……。それともロイ、俺の代わりに受けるか?」
「お断りだね」
自分から話を振ってきた割に即答してきたロイを思わず半眼で睨んだ。
馬鹿馬鹿しいと思っているのはこちらも同じだ。しかしサボったらサボったで、嫌気が差すほどに「凡俗」の連打を食らうのである。
変に響く音量で。
やや頭にこびりつくような独特の高い声で。
挙句目を血走らせたりなんかして。
「俺だってお断りだ……」
「何か言ったか凡俗!?」
しかも結構耳聡い。
「……別に……」
うんざりしながらコルネリオの言葉を聞き流す。
何故あの時、あの家の扉を開けてしまったのだろう。好奇心は身を滅ぼすというではないか。
何が悲しくて身を持って体験しなければいけないのか。
思わずひっそりと溜息をついた。
「王子ー」
近くの茂みからカイルとミアキスが顔を出す。
「いたか?」
「いや、そうじゃないんですけど……」
「だったら戻ってくるな。終わるまで帰れないんだぞ」
「人がいるんですよぉ。動かないんですけど、どうしましょう?」
思いがけない言葉にリュカはロイと顔を見合わせた。
遠くの方から聞こえるのは、既に耳慣れてしまったオルゴール。
紅黒い世界から浮き上がるように、そちらの方へ意識を傾ける。
ああ、同じだ。
あの時から、この世界に食われぬよう留めてくれるのはあのオルゴールの音で。
そしていつもここから引き上げてくれるのは、懐かしい群島の潮の音だ。
僕は、まだ「僕」でいられる。
僅かな安堵にひそりと笑みが漏れた。
あの甘美な記憶を、他のものになどくれてやるものか。
最初に視界に入ったのは、灰色がかった石材の天井。
全身がまだ冷たい。もうしばらく動くのは無理だろう。いつものことだから慣れてしまったが。
……それにしても、水中で意識を引きずり込まれてよくぞ生きていたものだ。普通に考えれば確実に死んでいる。
そちらが役目として太陽の紋章に接触することを要求していながら、その途中で有無を言わさず「呼び出し」て、こちらが死んでもおかしくない状況になると律儀に護ろうとする。
実に身勝手な話である。考えたら炎の時もそうではなかったか。
「――ああ、気がついたのか」
声に視線をそちらに向ける。白衣を纏った初老の女性が近づいてきた。どうやら医者らしい。
彼女は淡々とこちらの脈を取り、熱を測って――顔をしかめた。
「まだあまり良くないな。持病があるならどうして医者にかからない。先程まで仮死状態同然だったぞ」
何とも返答に困った。
まさか「左手に真の紋章が宿っていて、定期的に紋章に意識を呑み込まれるんです」などと言えるわけがない。そもそも病でもないのだし。
別に珍しいことでも何でもないのだ。「呼ばれる」ようになってから百年以上経つ。戻ってきた時の冷えきった体の感覚など、すっかり慣れてしまった。
「……主治医がいないもので」
結局そう答えた。一応嘘ではない。
「……まあいい。もう問題ないようだが、今日一日は安静にしておけ」
「二十分もすれば大丈夫ですけど」
「医者の言うことには従え」
こちらの意見をすっぱりと切り捨て、彼女はさっさと引っ込んでしまった。
医者というものはどうしてこうも似通っているのか。
それにしても、自分が誰か聞きもしないとは変な話だ。怪しむまでもないのか、それとも尋問担当者が別にいるのか。
ソルファレナに逆戻りした、ということだけは勘弁願いたいところだ。
結局疑問の答えは、後者であったらしい。
数十分後に顔を見せた男女の衣装は、共に黒と金。ファレナでこんな衣装を纏う存在はただ一つ――女王騎士。
わかってはいたがほとほと自分には運がない。ぼやきたくなるのを堪え、海流は密やかに溜息をついた。
「ああー、目が覚めたんですねー」
「大事にならなくて良かったですねぇ。心配したんですよぉ」
心配など欠片もしていなかったであろう様子で笑って声をかけてくる。
「大変だったんですよー。たまたま木の根に引っかかってたから何とかなりましたけど、これ以上下流行ったら海直行でしたからねー」
「私もう死んじゃってると思ってましたぁ。運が良かったですねぇ」
仮にも当人がいるのに「死んでると思った」は如何なものだろうか。
「呼ばれた」後の現実のことは全く覚えていない。だがもしソルファレナに戻ってしまったのなら、こちらの面はとうに割れているはずだ。王子の勢力にいる女王騎士、と判断するのが正しいかもしれない。
もっとも、敵ではないとも言いきれないのだが。
左手が、ずくりと疼く。
反射的にベッドから跳ね起きた。――ここに、いる。
「あ、まだ寝てた方がいいですよぉ」
「必要ない」
「そういうことじゃなくてぇ……」
二人の笑みが若干変わる。それに反応するかのように意識が冷えてくるのを自覚しながら、海流はそれを見つめた。
「すみませんねー。ここから出すなって言われてるもんで」
「変な話だ。自分達が拾った人間を疑う?」
「そう言われても仕事ですから」
あっさりと返ってくる言葉。さすがは女王騎士と言うべきか。
言うまでもなく武器は手元にない。紋章は身に宿しているものだけ。もしかしたら「静かなる湖」を使われているかもしれない。そして、目の前には女王騎士が二人。
普通の人間ならば観念するところだろう。
「でもこっちも仕事だ。それは困る」
最も、普通の人間ならばの話だが。
悪いが相手が女王騎士だからと言って、負ける気は全くしない。潜り抜けてきた場の数と質が、何より闘うものとして生きる年月が、彼らと自分では圧倒的に違うのだ。
彼らの手がゆるりと得物にかかる。敢えて威圧するようなその行動を、海流はごく自然に見届けた。
僅かに殺気が滲む。
「――やめておけ。勝ち目はないぞ」
扉の方から聞こえた声に、二人がほぼ同時に振り返る。
視線を向けると、それは母親似であろう顔を盛大にしかめさせてこちらを睨んでいた。
なるほど、眷属に過ぎない紋章の所有者が自分との最初の接触で不快感程度とは、大物かもしれない。
「探す手間が省けて助かった。君に会いに来たよ、黎明の所有者――ファレナの王子リュケイオール」
「……やはりニルバ島のはお前か。お前は、一体何だ」
「罰」
そう答え、海流は薄く微笑んだ。
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本当は王子との話が終わるまで、の予定だったのですが予想以上に長くなったので切ります。
しかし、5のキャラが出た途端妙にコミカルになった……。