反応は僅かに片眉が上がっただけだった。不機嫌そうな態度は些かも崩れることはなく――
「なるほど。お前、真の紋章の所有者か」
返ってきた声にも、動揺も疑念もなかった。

一見した限りは傲岸不遜。
これはファレナという国の性質を考えれば珍しいかもしれない。

たとえそれが、表向きのみであったとしても。

疼きと共に紋章から流れてきた「もの」は、表の態度だけでは察しのつけ難い、ひどく屈折して脆い様であった。
これならば、確かに合点がいく。もっとも今の時点で彼に語ることではないけれど。


「……珍しいね」
「何がだ」
帰ってきた声はやはり声は不機嫌なままだった。常時このままらしいので気にする必要はなさそうだが。
「色々あるよ。一番は……君がファレナの王子には見えないことかな。『どちらにしても』ね」
「……大きなお世話だ」
心なしか眉根が寄ったように見えた。


「――俺に会いに来たと言ったな。なら何故ニルバ島で近づいてこなかった。あの時のはお前だろう」
「あの時は太陽の方が心配だったからね。――大体ニルバに君がいるとも、君が黎明の所有者だとも知らなかった。偶然通りかかっただけだし」
如何にも信じていない顔つきである。
しかし紛れもない事実だ。本来海流が見るべきは真の紋章のみであり、眷属に関しては反応が鈍い。
これは黎明と黄昏のように真の紋章と密接に関わっている眷属が殆どないためだ。眷属にまで過敏に感応していては、ただでさえ膨大な紋章の絡んだ大きな戦の度に受ける情報量が、更に増えてしまうことになる。
そんなことになれば、罰の紋章はともかく到底海流の身がもたない。鈍感であることが一種の防衛手段であるとは、よく言ったものである。
ニルバ島では、いつも通り真の紋章である太陽の紋章を優先しただけのことだ。
「仮にも王家なら、ちゃんと管理してほしいね。眷属まで見なきゃいけない分僕の手間まで増えた」
「それはお前以外にも言われた。とりあえずニルバの件はそういうことにしておくが……結局何のために来た」
「さっき言った通りだよ。僕はただ会いに来ただけだ。君――正確には、黎明の紋章とその所有者にね」

海流の言葉に、その場の空気がざわりと乱れた。
先程から二人の女王騎士から警戒されていたが、今度向けられたのは――殺気。

王子を庇うように前に進み出た少女から向けられたものだった。
この歳で王族の護衛を務められるほどだ、強いことは強いのだろう。あの女王騎士二人と互角か、やや劣る程度か。
だが脅威と感じるまでもない。武器がないので三人同時に来られれば少々手を焼くだろうが、負けることはないだろう。

別に不殺を信条としているわけではない。

「リオン、やめておけ」
制止の声には、些か呆れがこもっていた。
「さっき勝ち目はないと言っただろう。この手の類の奴を下手に刺激するな」
「王子、ですが……」
「まあ怪しいのは認めるよ。それに、場合によっては殺すことだってあるしね」
弱まりかけていた殺気が再び強くなった。
最早完全に敵と見なされたのか、リオンと呼ばれた少女が既に抜刀しかかっている。
王子の制止がなければ今すぐにでも飛び出しそうな雰囲気であった。
「やめておけと言ってる。お前もいちいち余計なことを言うな」
「事実だけどね。もっとも今は君に手を下すつもりはないよ」
「どういうことだ」
「紋章の所有者の選定に誤りはない。
ただ時が経って、所有者が道から外れることがある。僕はそれを見極めるために動いてるだけだよ。
真の紋章は世界の理。変なことに使われたりしたら、均衡を崩すことになりかねない。
一応今の君なら問題はなさそうだ。でも、覚えておくといい、リュケイオール。君はとても精神が不安定だ。根本の問題を解決しないと、力の誘惑に負けてしまうよ」
「……大きなお世話だ」
眉一つ動かさず、それこそふてぶてしく言葉を返す王子の気配が一瞬、激しく乱れたのを感じ取る。

これが何よりの弱点だろう。
なまじ感情を表に出さない分、内面から崩壊しやすい。
親子故かそれとも王族故か、アルシュタートにも似たような部分があったが、彼女にはフェリドという何よりの理解者がいた。
同じような弱点を抱えているならば、人を遠ざけ自分一人で抱え込もうとする王子の方が、所有者としては適しているが脆いだろう。


久方ぶりに所有者に剣を向けることになるかもしれない。

紋章から得た知識を意識下で反芻しながら、海流はそう思った。
まあ、実際にそうなるかどうかは今の状態では判断出来ないが。

「……一つだけ、聞こうか」
そう口にしたのは、その憶測があったからかもしれない。
「君は黎明を手にして、通常ならざる力を得て――紋章に何を望む」




「何も」

答えはとても短く、素早かった。

「俺は紋章に何も望まない。こんなものがあろうとなかろうと、俺がすることは変わらない。
象徴は象徴として在るだけで十分だ。違うか?」
何でもないと言わんばかりに言ってみせる。
紋章の力の一端を知っていながら、それに酔うこともない。紋章を不要と言い切る強い覇気を持ちながら、致命的な脆さを持つ。
「……何となく、わからなくもない」
思わずぽつりと漏らす。

もっともそれがこの先揺らがない保障は何もないのだが。

「何がだ」
「こっちの話。君が知るにはまだ早いよ。
――よくわかった。今の君には何もしない。まあ、頑張って」
ベッドから抜け出し、ブーツに足を突っ込む。
残念ながら、海流には転移の魔法は使えない。そうでなければ、ファレナに到着するのがここまで遅くなりはしない。
ざっと周囲を見回して、近くに自分の荷物がないことに軽く首を傾げた。
武器はともかく、中身を確認したのなら別に問題ない物だとすぐわかるだろうに。
「……剣と荷物、返してくれない?」
「ゴドウィンの所に走らないとも限らないのにか?」
「それは心配いらない。僕は紋章の戦には絶対不干渉だ。向こうに付くことも、君に手を貸すこともしない。そう決められてる。
第一僕がどちらかについても、僕には意味がない」
「言いたいことはよくわかったが、生憎俺に決定権はないんでな」
どことなく皮肉げに呟いて、王子が向けた視線の先には――

実に不機嫌そうな様子の長身の女医がいた。

「今日一日安静にしていろと言っただろう」
彼女の妙に底冷えのする声に、海流は小さく頷いた。

はっきり言って、ユウよりもはるかに怖い。


                

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非常に……遅くなりました……。はっきり言ってかなりの難産。
最後がどことなくコメディタッチなのは5仕様だからですかね?



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