中に入ってきた待ち人は、目が合うなり盛大に顔をしかめてみせた。
「さすがに失礼だと思うよ」
「黙りなさい」
ぴしゃりと叩きつけられた声は表情以上に冷めていた。
普段から不機嫌そうではあるが、その比ではない。嫌われているという自覚はあるが、こうまで露骨に表されると少々複雑なものがある。
「リュケイオールには優しいのにね」
「黙れと言っているのです。大体何の用だと言うのですか」
「聞きたいことがある。今回みたいな面倒なことは『身内』に聞くのが一番だからね」
こちらの言いたいことはある程度察したのだろう、ゼラセの顔から僅かに険が取れた。
「何です。私が教えられることなどないと思っていましたが」
「君はどこまで知ってるのかと思って」
「何の話です」
「太陽」
ゼラセの眉がほんの僅かに動いた。
「三年も追いかけ回してるんだ。何かしら気がつくことはあったんじゃない?」
「情報を得ようと思うならもう少し明確に喋りなさい」
先ほど以上に声に棘が混ざる。むしろ逆撫でしてしまったらしい。
「そもそも何で君はここにいる?いくら太陽の関係者だからって、宿星にまでなって」
「決まっています。太陽の紋章を安定させるためです。それ以外の些事に構いつける暇などありません」
「何でもかんでも些事で片づけるのはよくないよ」
「目的を最優先するのは当然のことです。それともあのような強力な紋章を不安定な状態で放置しても構わないとでも言うつもりですか」
「極端な意見だなあ……。別にそうは言ってないよ。好き勝手暴れられたら僕だってたまらない」
それだけは海流自身心底思っていた。
真の紋章の中でも太陽の紋章は力が強い。三年前のロードレイク、一年前のソルファレナ。あれだけでもひどい余波だったのだ。
別に紋章に長けているわけでも、同じ大陸にいたわけでもないのに。
ちらりと自分の左手に目をやる。そこに何があるのかは、今更口にするまでもない。
罰を継承してから百数十年。呪い自体は解けているらしいが、完全に我がものとして扱えるかというのは別の話だ。
――いや、「あの時」死していなければ、話は違ったかもしれない。
罰に生かされてしまった自分もまた、「罰」なのだ。
意識を紋章に持っていかれるのは、紋章と海流の境界が曖昧なせいだ。
正式に罰を継承した直後はもっとひどかった。ある程度まともに行動できるようになるまで二年もかかったのだ。
百年以上も経って、何とか肉体も精神も折り合いをつけることが出来かけていたのに、太陽に引っかき回されてしまった。また落ち着くのに何年かかるのかもわからない。
あんな迷惑なことがそう何度もあってたまるものか。不老であっても不死ではない以上、今回は死んでもおかしくなかったのだ。
それも「溺死」などと、元海上騎士としても屈辱以外の何ものでもない死に方で。
正直に言うと、とっととケリをつけてほしい。危なっかしくて仕方がないのだ。
「ずいぶん頑張ってると思ってさ。片割れがいなくなると急に不安になって暴れ出すのに、よく我慢してるよ。余程欲しいものがあるみたいだね」
「何が言いたいのです」
「意外。多少は手でも貸してるかと思った」
「いい加減になさい。貴方の独り言に付き合う暇はありません」
思わず薄く苦笑を一つ。
彼女の気真面目さはある意味美徳だが、如何せん頭が固くていけない。
仕方なしに海流は口を開いた。
「太陽は代わりが欲しいんだよ。黎明――今は黄昏もか――の代わりに自分を支えてくれるものが。つまりは、所有者がね。
でもアルシュタートは違った。彼女は宿す資格があっただけだから」
代々女王は婚約、婚姻の儀を経て太陽の紋章を宿す資格を得る。
何故そんなことをしなければならなかったのか。
伝承にある通り、ファレナ女王家がこの地に太陽の紋章を持ち込んだシンダル族の子孫だと言うのならば――
「太陽の所有者は女王として生まれるはずだった。それを確かめるための儀だった。でもね?そんな面倒なことしなくたって、紋章の方はそれくらいわかる」
「では……その所有者が現れたとでも?」
「でも紋章の方には黎明と黄昏を宿した者でなければ太陽を宿すことは出来ないという制約がある。なら、どうすればいい?」
真の紋章は人を選ぶ。それは近しい「眷族」とて同じことだ。
本来女王、もしくは次期女王しか宿すことが許されなかった黎明の紋章が王子に宿るなど、記録にあるかどうかはわからないがこの国始まって以来なのではないだろうか。
「太陽を宿せるように資格を持たせてしまえばいい。簡単なことだ」
「馬鹿な。ならば、あなたはこの戦が紋章によって引き起こされたとでも言うつもりですか」
「いいや。元凶は確かに人間だよ。それに変わりはない」
口では否定こそしたが、海流は完全には否定しきれなかった。
太陽の紋章は人の心を狂わせる。そうしてきっかけを作ってしまったのではないだろうか。
もっともあくまで推論だ。本当のところはわからない。
あの時、封印像に安置されていた太陽は本心さえわからぬほどに所有者に焦がれていたのだから。
「でも太陽は体良くそれを利用しようとしたんだ。所有者が――御者がすぐ近くにいたからね」
「御者?」
「名は体を表すって言うけどまさに、だ。
よく太陽に似ているじゃないか。あんなにも不安定なのに、奥底の芯は恐ろしく強くて何があろうとそこだけは揺るがない。
似合いの名前だよ。
リュケイオール――太陽の御者、なんてさ」
沈黙は重苦しく、随分と長く続いたように感じた。
「……何故、あの王子なのです。あんな人間が真の紋章を持てばどうなるか……」
ようやく口を開いたゼラセの声は僅かに掠れていた。あまり表情に変化のない彼女からすれば、驚愕に値することだったのだろう。
「あれ?それなりに買ってたんじゃないの?」
「あれほど不安定な人間ではすぐに紋章に振り回されます。制御を失えば太陽がどうなるか、あなたもそれくらい知っているでしょう」
「でも、所有者はリュケイオールだ。この事実は変わらない。僕ではない。君でもない。あの王子だよ」
ゼラセの不安など百も承知だ。だが自分は事実を述べただけに過ぎない。
それに海流はあくまでも傍観者だ。何もすることも、するべきこともない。
ただ動いた事態を終結するまで見届けるだけなのだ。
話すことは終わりだと、言外に告げるように踵を返す。
ゼラセのことだから口外することはないだろうし、したところでまともに理解出来る者がどれだけいるのかもわからない。これだけは感覚的なものだ。
「――それにさ」
ふと足を止め、海流は肩越しに振り返る。
部屋の暗がりに半ば溶け込んだ黒いローブの中で、浮き上がるように白い顔だけがこちらを向いた。
「それだけ脆ければ崩れるのだって早い。そうなったら斬れば済む話だろう?」
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一応……海流が3・4で水没してた理由を書いたつもりです。実に曖昧ですが
本来ゼラセはこういう質問タイプではないんですが、海流の性格が性格なので必然的に聞きポジションに徹してもらいました。
そうしたらまあ、不機嫌なこと!
普段のゼラセはより無愛想なんですけどね。答えてくれないこと多いですし。
同族嫌悪ですかね